自分の絵について何か感想を述べられる時、「好き」と言われるのが一番嬉しい。その一言が言葉としては聞けなくても、相手がとても嬉しそうに話してくれたり、感情を込めて伝えようとしてくれる様子を見ていると、心から嬉しくて、自分は幸せ者だと思う。

自分の趣向、好きな音楽や映画について誰かに話す時、私はそれらのどこが好きなのか、どれだけ素晴らしいのかを上手く伝える事が出来ない。時々そうやって言葉で表現する事すら出来ない自分に対して「好きだと思っているのは単なる外交上の都合による建前なんじゃないのか」と感じて自身の薄っぺらさに辟易してしまう事があるのだが、「好きなものは好き」、それだけじゃ駄目なんだろうか。


「めっちゃ好き」「どうでもいい」「技術的な面は評価してやる」
「才能の無駄遣い」

私の場合、好きになるかどうかはこの4つのポイントで分けられるようだ。とにかく「めっちゃ好き」ゾーンに君臨するもの達は私の全てで、これを否定されると自分自身を否定されたと同義と見なされる。
人それぞれに好みが存在して、私のように1か0かの基準しか無い人間もいる。その中で誰かの眼に留まってほんの微量でも感動を与える事が出来たなら、それはそれは有難い事なのだ。


しかし「好きなもの」に関して何も知らないというのは無責任だと思うので、苔とか鯨の死後について、詳しく調べてみようと思う今日この頃。好きだと言うくらいなら、その発言には責任を持たないと。

No comments:

Post a Comment